連載「AI時代の構造論」

【第8回】AI時代に会社は何のために存在するのか

AIで一人でできることが増えた今、会社はなぜ存続するのか。信用、目的達成確率、そして人間の非論理を束ねる器としての会社。連載最終回。

ここまで7回かけて、AIが何を壊し、何の価値を上げているのかを見てきました。最終回で答えるのは、その全部の先にある一番大きな問いです。AIでひとりでできることがここまで増えたなら、そもそも会社は、まだ要るのか。

正直に言うと、私自身、本心ではこう思っています。ひとりでできるなら、会社である必要はない。AIを使えば、かつてチームでやっていたことの多くが、ひとりの手元で回るようになりました。だとすれば、会社という器そのものが、もう要らないのではないか。この問いから逃げずに、最終回を始めます。

この問いを、きれいごとで処理したくありません。「やはり会社には人の温かみが」みたいな話に最初から着地させると、何も言っていないのと同じになります。だから、まずは会社不要論の側に、できるだけ正直に立ってみます。その上で、それでも残るものがあるなら、それは本当に残るものだと言える。結論から言えば、会社は残ります。ただし、これまでと同じ理由でではありません。残る理由そのものが、AIによって入れ替わる。その入れ替わりを最後まで見届けるのが、この回です。

「ひとりでできるなら会社は要らない」は、半分正しい

まず、この直感は、半分は正しいと思っています。

会社は、ずっと「ひとりではできないこと」を成立させるための仕組みでした。第2回で書いた分業がその典型です。ひとりの能力と時間には限界がある。だから人を集め、工程を分け、束ねる。会社という器は、その限界を超えるために組まれてきました。

AIは、その「ひとりの限界」を押し広げました。これまで人に頼むしかなかったことが、ひとりで通せるようになった。だとすれば、限界を超えるために会社を作る、という理由の一部は、確かに弱くなります。少人数、あるいはひとりで、かつてより遥かに大きなことができるようになったのは、事実です。会社の存在理由のうち「人手を束ねるための器」という部分は、AIによって目減りしました。ここは認めるべきだと思います。

ただ、これはあくまで半分です。残りの半分に、会社がまだ存在する理由があります。

それでも残る理由(1):信用

ひとつめは、信用です。

これは能力の話ではありません。ひとりで全部できたとしても、社会と取引するときには、「この相手は信用できるのか」という問いが必ず立ちます。約束を守るか、責任を取れる主体か、続いていく存在か。個人のままだと、この問いに答えるための土台が弱い。法人という形をとるのは、能力が足りないからではなく、社会に対して「ここに責任の主体がある」と示すためです。

私自身、ひとりでも事業は回せると感じています。それでも法人という形をとっているのは、能力のためではなく、信用のためです。相手が安心して取引できる主体であること。その一点のために、器が要る。AIでどれだけひとりの能力が上がっても、この「社会から信用される主体としての器」は、能力の延長線上には出てきません。ここは会社が残る、確かな理由のひとつです。

ここは、AIの時代だからこそ、むしろ重みが増す論点です。AIによって、それっぽいものは誰でも作れるようになりました。文章も、提案も、見た目の整ったアウトプットも。だとすると、受け取る側からすると、表面のクオリティだけでは相手を判断できなくなります。誰でも一定のものを出せる世界では、「誰が出したものか」「その相手は責任を持てる主体か」の比重が、逆に上がる。中身が均質化するほど、信用という土台のほうが効いてくる、ということです。会社という器が担ってきた「ここに責任を取れる主体がある」という機能は、AIで均質化が進むほど、価値を失うどころか、むしろ際立っていきます。

それでも残る理由(2):目的が大きいほど、ひとりでは届かない

ふたつめは、規模と難度です。

AIでひとりの限界は広がりました。けれど、広がっただけで、消えたわけではありません。ひとりプラスAIでできることには、依然として上限があります。そして、目的が大きく、難しくなるほど、その上限はすぐにやってきます。

ここで大事なのは、会社の価値を「人数」で測らないことです。連載の第3回で、規模が自動的に強さになる時代は終わりに近い、と書きました。会社の価値は、何人いるかではありません。共通の目的に対して、各人の強みが最も活きる形で配置されていて、その結果、ひとりでは届かない成果確率にまで到達できる。この「強みの最適配置による成果確率の引き上げ」こそが、会社という構造の価値です。

私の会社観を一言で言うと、こうです。会社とは、共通の目的を達成するために、個人の限界を超えて、各人の強みを最大化しながら、成果が出る確率を上げるための構造である。人を集めることが目的なのではありません。目的の達成確率を上げることが目的で、そのための手段として人と構造がある。この順番を取り違えると、ただ人がいるだけの、確率を上げない会社になります。AIは、この「順番を取り違えた会社」を、容赦なく不要にしていきます。残るのは、確率を本当に上げている会社だけです。

会社の中身は変わる。器が残っても、形は変わる

ここまでで、会社が残る理由は出そろいました。信用と、目的達成確率の最大化です。ただし、理由が残ることと、形が変わらないことは、別です。

これまでの連載で見てきた変化は、全部、会社の中身に効いてきます。情報を持っていることで価値を出していた人の役割は変わる(第4回)。見張ることで価値を出していた管理職の役割は、設計する側へ移る(第6回)。問題を情報の不足ではなく、状態のズレとして捉え直す必要が出る(第5回)。これらは全部、会社という器の中身を組み替えていきます。

だから、会社はなくならないが、これまでと同じ会社のままでもいられない、というのが正確な見立てです。器は残る。けれど、その中で価値を生む場所が、ごっそり移動する。人手の量から、強みの配置へ。見張りから、設計へ。情報の保有から、課題の定義へ。会社が生き残るかどうかは、この移動についていけるかどうかで決まります。器があること自体は、もう価値を保証しません。

ここで、多くの会社がつまずくであろう点を、ひとつだけ指摘しておきます。この移動は、組織図を描き替えれば済む話ではない、ということです。役職の名前を変えても、部署を統合しても、価値を生む場所が移っていなければ、形だけの組み替えに終わります。本当に移すべきなのは、人がどこで本気になり、誰が何を引き受け、どの強みがどこで活きているか、という中身のほうです。これは外から型を当てて変えられるものではなく、その会社の現実を深く理解した人間が、内側から組み直すしかありません。第6回で設計者の話をしましたが、この最後の組み替えこそ、設計者が問われる最大の仕事です。器を残せるかどうかは、この内側の設計ができるかどうかにかかっています。

そして、最後に残るもの

ここからが、この連載で本当に言いたかったことです。

これまで、AIに渡せないものとして、定義する力、状態を読む力、設計する力、そして当事者性を挙げてきました。これらの一番奥に、もう一段、根のようなものがあります。それは、人間が論理だけで動く生き物ではない、という事実です。

AIは、論理を最適化します。効率化する。構造化する。整える。これは本当に得意です。だからこそ、論理で詰められる部分は、これからどんどんAIに移っていきます。ところが、論理をAIに任せれば任せるほど、逆のものが際立ってきます。人間が、論理だけでは動かない、という部分です。

人は、正しいから動くのではありません。最後は、感情で動きます。この人と一緒にやりたい、この熱量に巻き込まれた、この人になら任せたい。完璧に正しい説明より、不完全でも本気の言葉のほうが、人を動かすことがある。これは非効率で、非論理的で、AIが最も苦手とする領域です。そして、人間が人間に惹かれる理由は、たいていこの非論理の側にあります。

たとえば、AIが作った完璧な顔より、どこか崩れた人間の表情に惹かれることがあります。隙のない正論より、悩みながら絞り出された言葉のほうが、信じられることがあります。これは欠点ではありません。人間の価値が、完全さではなく、不完全さや感情のほうに宿っている、ということの現れです。AIが論理を引き受けて、完璧をいくらでも生産できるようになるほど、この「人間にしかない不完全さと熱」の価値は、相対的に上がっていきます。

これは、感傷的な話をしているのではありません。構造の話の、論理的な帰結としてこう言っています。これまでの連載でずっと、「みんなができるようになったものは、価値が下がる」という同じメカニズムを見てきました。情報も、思考も、実務能力も、AIによって民主化され、希少でなくなった。同じメカニズムを最後まで適用すると、こうなります。論理や効率や完璧さが、AIによって誰でも手に入る世界では、それらは希少でなくなる。そして、希少でなくなったものの価値は下がり、まだ配れないものの価値が、相対的に上がる。配れないものとは何か。本気で何かを背負う覚悟と、人を惹きつける熱と、論理に還元できない人間くささです。だから人間味の価値が上がる、というのは、精神論ではなく、連載をずっと貫いてきた同じ論理の、最後の一手なのです。

会社とは、人間の非論理を束ねる器である

ここで、会社の話に戻ります。

会社が最後に残る理由は、信用と、目的達成確率の最大化だと書きました。その上で、もう一段深い理由を、最終回の結論として置きます。

会社とは、人間の非論理を束ねる器でもある、ということです。

論理だけで成果が出るなら、極端に言えば、人は要りません。AIと仕組みで足ります。けれど、現実に人を動かし、難しい目的に最後まで向かわせるのは、論理ではなく、感情と当事者性のほうです。同じ目的に本気で巻き込まれた人たちが、互いの強みを持ち寄り、誰かが結果を引き受けて立つ。この、非論理で、熱を持った集まりが、ひとりでは届かない場所まで到達する。会社という器の本当の価値は、ここにあります。

AIが論理を担う時代に、会社に残るのは、論理では代替できない部分です。何を成し遂げたいかという目的。それに本気で巻き込まれる感情。外れたときに痛む場所に立つ当事者性。これらを持った人間を束ね、ひとりでは出せない成果確率まで押し上げる。それが、AI時代に会社が存在する理由です。

連載の結論

最後に、8回分を一本に束ねます。

AIは、人間の仕事を奪う道具ではありませんでした。人間と人間のあいだにあった構造を、組み替える力でした。考える作業を民主化し、情報の落差を埋め、分業の継ぎ目を溶かし、見張る仕事を引き受けた。その結果、価値は「持っていること」から「捉え、決め、引き受けること」へ移りました。

そして、その移った先の一番奥にあったのは、定義する力でも、設計する力でもなく、それらすべての根にある、当事者性と、人間の非論理性でした。AIが論理を担うほど、人間に残るのは、本気で何かを自分ごとにし、感情ごと人を巻き込み、結果を引き受けて立つ、という非効率な力のほうです。

会社は、なくなりません。ただし、人手を束ねる器としてではなく、信用の主体として、そして何より、論理では動かない人間たちを、共通の目的のもとに束ねる器として残ります。AI時代に問われるのは、「何ができるか」ではありません。何を本気で成し遂げたいか、誰と、どんな熱で、その結果を引き受けて立つのか。

できることは、これからいくらでも配られます。配られないのは、本気で背負う覚悟と、人を巻き込む熱だけです。AIが進むほど、最後に残るのは、いちばん人間くさい部分なのだと思います。

(連載「AI時代の構造論」了)

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