連載「AI時代の構造論」

【第2回】AIは「人間を代替」するのではなく、「分業」を壊し始めている

AIが本当に壊しているのは個別の職業ではなく、人と人のあいだの「分業の継ぎ目」である。組織変化を構造として捉え直す第2回。

AIの話になると、たいてい「仕事が奪われるかどうか」という議論になります。あの職業は消える、この仕事は残る、人間はどこへ行くのか。報道もだいたいこの枠で語られます。

私は、この問いの立て方そのものが少しズレていると思っています。AIが本当に壊しているのは、個別の職業ではありません。職業と職業のあいだ、人と人のあいだにあった「分業」という構造のほうです。代替されるのは人ではなく、人をつないでいた継ぎ目のほうだ、というのが今回の話です。

なぜ「職業が消えるか」という問いがズレているかというと、その問いは、仕事を職業という単位でしか見ていないからです。実際の仕事は、職業という箱の中で完結しているわけではありません。誰かが受け取り、誰かに渡し、その連なりとして成り立っています。AIが手をつけているのは箱そのものではなく、箱と箱をつなぐ部分のほうです。だから「どの職業が危ないか」をいくら数えても、変化の本体は見えてきません。見るべきは職業のリストではなく、仕事のつながり方そのものです。

分業は「人を分ける」ことではなく「工程を分ける」こと

そもそも分業とは何かを、一度ほどいておきます。

分業と聞くと、人を役割ごとに割り振ること、と捉えがちです。営業がいて、制作がいて、経理がいる。たしかにそう見えます。けれど本質はそこではありません。分業の本質は、一つの目的を達成するために必要な作業を、いくつかの工程に切り分け、その工程ごとに人を当てていく、という構造です。人を分けているのではなく、まず工程を分けていて、その結果として人が分かれている。順番が逆なんです。

なぜ工程を分けるかというと、ひとりの人間に能力と時間の限界があるからです。全部をひとりでやると、品質も速度も頭打ちになる。だから切り分けて、それぞれを得意な人に渡す。これが分業が生まれた理由で、長いあいだ合理的な選択でした。規模の大きいことを成し遂げようとするほど、分業は不可欠でした。

ここで押さえておきたいのは、分業はタダではない、ということです。工程を分けた瞬間に、工程と工程のあいだに「継ぎ目」が生まれます。営業が聞いた話を制作に渡す、制作が作ったものを別の誰かが確認する。この受け渡しのたびに、情報は少しずつ目減りします。ニュアンスが落ちる、背景が抜ける、温度が伝わらない。分業の本当のコストは、人件費ではなく、この継ぎ目で失われるもののほうにあります。

それでも、失われる分を引いてもなお、分けたほうが得だった。だから世界中の組織が分業で動いてきました。継ぎ目のコストは、分業の便益とのトレードオフとして、仕方なく受け入れられてきたわけです。

AIが変えたのは「ひとりでできる範囲」

ここにAIが入ってきます。

AIがやったことを一言で言うと、ひとりの人間ができる範囲を、急に押し広げたことです。これまでは専門の人に渡すしかなかった工程が、AIを横に置くだけで、ある程度まで自分でこなせるようになりました。

文章を書く人が、簡単な分析まで自分でやれる。企画を考える人が、たたき台のデザインまで自分で出せる。コードを書く人が、仕様の整理から下書きまで自分で進められる。それぞれの専門家ほどの完成度ではないにせよ、「人に渡さなくても、ここまでは自分で行ける」という範囲が、明らかに広がりました。

これが何を意味するか。分業する理由が、根っこから揺らぐということです。

さっき、分業はひとりの限界があるから生まれた、と書きました。逆に言えば、ひとりでできる範囲が広がれば、分業しなければならない理由はその分だけ減ります。今まで「これは自分の手に余るから人に渡す」しかなかった工程が、「渡さなくても自分でいける」に変わる。すると、わざわざ継ぎ目を作ってまで人に渡す意味が薄れていきます。

つまりAIは、誰かの仕事を奪いに来たというより、人と人のあいだにあった「渡す必要」を溶かしに来た、という言い方のほうが正確です。

具体的な場面で考えると分かりやすいと思います。

これまで、ひとつの提案資料を作るのに、何人かの手を渡っていたとします。要件を聞く人がいて、構成を考える人がいて、文章を書く人がいて、体裁を整える人がいる。それぞれが自分の工程をこなし、次の人に渡していく。一見、効率的な分担に見えます。

でも実際には、要件を聞いた人の頭にあった温度は、構成を考える人には完全には伝わりません。構成の意図は、文章を書く人には半分しか渡りません。受け渡しのたびに、最初にあったはずの「なぜこれをやるのか」が薄まっていく。最後に出てきた資料は、形は整っているのに、どこか芯がない。こういうことが、分業の現場では日常的に起きていました。

ここにAIが入ると、その何人ぶんかの工程を、ひとりが抱えたまま進められるようになります。要件を聞いた本人が、構成も文章も体裁も、AIを使って自分の手元で回す。すると、最初の温度が薄まる箇所が、そもそも発生しません。渡さないから、目減りしない。これは「作業が速くなった」という以上に、「芯が最後まで通るようになった」という変化です。

「代替」と「継ぎ目が消える」はまったく違う話

ここを混同すると、変化の本質を見誤ります。

代替というのは、ある人がやっていた仕事を、まるごと別のもの(AI)が肩代わりする、というイメージです。人がいた席に、AIが座る。多くの議論はこの絵で語られています。

でも実際に起きているのは、もっと地味で、もっと広い変化です。誰かの席がそっくり奪われるのではなく、席と席のあいだにあった受け渡しの工程が、少しずつ要らなくなっていく。担当者は消えないけれど、担当と担当のあいだの「橋渡し」が痩せていく。これが継ぎ目が消えるということです。

この二つは、見た目が似ていても、組織に与える影響がまるで違います。

代替なら、影響を受けるのは特定の職種だけです。「あの仕事は危ない」で話が済む。けれど継ぎ目が消える変化は、職種を問わず、組織のあらゆる接続部分で同時に起こります。営業と制作のあいだ、企画と開発のあいだ、現場と管理のあいだ。これまで人が手で繋いでいたところほど、影響が大きい。だから「自分の職業は安全だ」と思っている人にも、この変化は普通に届きます。安全なのは職業であって、職業のあいだの受け渡しではないからです。

継ぎ目が消えると、何が起きるのか

継ぎ目が消えていくと、組織にはいくつかのことが起こります。

ひとつは、これは素直にいい変化ですが、伝言ゲームの劣化が減ります。工程をまたぐたびに情報が目減りしていた、あの構造的なロスが小さくなる。ひとりの中で完結する範囲が広がるほど、受け渡しの回数自体が減るので、当然そうなります。最初に持っていた意図が、薄まらずに最後まで通りやすくなる。

もうひとつは、もう少し厄介な話です。継ぎ目は、ただのコストではありませんでした。継ぎ目は同時に、責任の切れ目でもあり、確認の機会でもありました。誰かから誰かに渡すという行為には、「ここまでが私の担当です」という区切りと、「受け取る前にチェックする」という関所の役割がありました。継ぎ目が消えると、このコストと一緒に、区切りと関所もなくなります。

便利さと引き換えに、いつのまにか曖昧になるものがある。ここはこの連載で何度も出てくる論点なので、今は「継ぎ目にはコスト以外の機能もあった」とだけ置いておきます。失ってから気づくタイプの機能です。

少しだけ具体化しておきます。たとえば、誰かが作ったものを次の人が受け取るとき、受け取る側は無意識にこう考えていました。「これ、このまま進めて大丈夫か」。この一拍が、間違いを止める関所になっていました。本人ひとりでは気づけないズレを、別の人間が受け取る瞬間に気づく。分業の継ぎ目は、伝言ゲームでロスを生む場所であると同時に、ロスや間違いを発見する場所でもあった。両方の顔を持っていたわけです。

継ぎ目が消えると、目減りは減りますが、この発見の機会も同時に減ります。ひとりで全部を通せるということは、ひとりの思い込みが誰のチェックも受けずに最後まで走る、ということでもあります。速くなり、芯は通りやすくなる。けれど、間違ったまま速く芯を通してしまうリスクは、むしろ上がる。便利さの裏側で、何が起きているかを正確に見ておく必要があります。

そしてもうひとつ、見落とされがちな変化があります。分業を前提に組み立てられていた組織の形そのものが、合わなくなっていくということです。

これまでの組織は、工程を分けることを前提に設計されていました。部署があり、役割があり、引き継ぎのルールがあり、それを束ねる管理がある。これは全部、「分けたものをどう繋ぎ直すか」のための仕組みです。ところが、そもそも分ける必要が減っていくと、繋ぎ直すための仕組みのほうも、丸ごと過剰になっていきます。組織図は、解くべき問題が変わったのに、昔のままの形で残り続ける。

ここで起きるのは、組織の形と仕事の実態がズレていく、という現象です。仕事のほうは、ひとりで通せる範囲がどんどん広がっている。なのに組織の形は、いくつもの工程に分けて、それぞれに人を置き、あいだを管理で繋ぐ、という昔の前提のまま動いている。実態が先に変わって、構造が取り残される。この状態が続くと、組織の中に「もう必要のない受け渡し」や「繋ぐためだけに存在している役割」が、誰も悪気がないまま残っていきます。

そして、この手のズレは内側からは見えにくい。毎日まわっているし、誰もサボっていないからです。継ぎ目が無駄になっていることに気づくのは、たいてい外から来た人か、ゼロから組み直す機会が来たときです。普段は、形が残っているという理由だけで、その形が正しいと思い込まれ続けます。

分業がなくなるわけではない

念のため、誤解のないように書いておきます。

分業がこの世から消える、という話ではありません。規模の大きいことを成し遂げようとすれば、ひとりの限界は依然として存在します。AIを使ってもひとりでできることには上限があり、目的が大きく、難しくなるほど、複数の人間で挑む必要は残ります。そこは変わりません。

変わるのは、分業が「当たり前の前提」から「選んでするもの」になる、という点です。

これまでは、まず分業ありきでした。仕事が来たら、とりあえず工程に切って、人に割り振る。それが標準のやり方でした。これからは、その手前に問いがひとつ挟まります。「これは本当に分ける必要があるのか」「分けることで失う継ぎ目のコストと、分けて得られるものは、どちらが大きいのか」。分業は、無条件の前提ではなく、毎回判断されるものになっていきます。

そうなると、組織にとって重要な能力も変わります。これまで価値があったのは、分けられた工程をきちんとこなす力でした。これからは、そもそもどこを分け、どこを分けないかを設計する力のほうに、価値が寄っていきます。分業を上手に回す人より、分業の設計図そのものを引ける人が必要になる。

ただ、その「設計する力」が具体的に何なのか、誰がそれを担うのかは、この回だけでは語りきれません。それは管理職と設計者の話、責任の話とまっすぐ繋がっていく主題なので、連載の後半でじっくり扱います。

今回見てきたのは、AIが個別の職業ではなく、人と人のあいだの継ぎ目のほうを溶かしているという話でした。この変化は特定の誰かの危機ではなく、組織のあらゆる接続部分で同時に進みます。そして、ここまでは主に「人と人のあいだ」で起きることとして話してきましたが、同じ力は当然、会社と会社のあいだにも働きます。

次回は、この変化が会社単位でどう効いてくるのかを見ていきます。AI時代に価値が下がる会社と、上がる会社。その分かれ目がどこにあるのか、という話です。継ぎ目が消える世界で強い会社は、これまで強かった会社とは、別の理由で強いはずです。

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