連載「AI時代の構造論」

【第6回】「管理職」が減り、「設計者」が重要になる時代

AI時代に価値が下がる管理職と、価値が上がる設計者。見張らなくても動く構造を引く役割、属人化の正しい捉え方。第6回。

管理職は、長いあいだ「偉い人」でした。

現場を何年かやって、成果を出すと、管理職になる。人を持ち、進捗を見て、数字を追い、報告を上げる。出世とはそういうことで、管理する側に回ることが、キャリアの自然な上がり方でした。

その前提が、AIによって崩れ始めています。管理職の仕事の多くは、これから価値が下がります。代わりに価値が上がるのは、まったく別の役割です。それを今回は「設計者」と呼びます。管理する人ではなく、設計する人。この交代が何を意味するのか、という話です。

念のため言っておくと、これは管理職を否定したい話ではありません。これまで管理職が担ってきたものには、確かに必要があって生まれた機能があります。問題は、その機能のうち大きな部分が、AIによって人間がやる理由を失いつつある、という構造のほうです。役割を責めるのではなく、役割の中身に何が起きているかを正確に見る。前回までに何度か出てきた「持っていること自体の価値が下がる」という話の、管理職版だと考えてもらえれば近いです。

管理職は何をしていた人なのか

交代の話をする前に、管理職という役割の中身を、一度ばらしておきます。役職名ではなく、実際に何をしていたか、です。

管理職の仕事を分解すると、かなりの部分が「見張ること」でできています。誰がどこまで進んだかを確認する。遅れていないかを見る。ズレていないかをチェックする。問題が起きていないかを監視する。そして、その状況を上に報告する。言い方は厳しいですが、業務の実態としては、現場で起きていることを集約し、見張り、伝える、という中継の仕事が大きな比重を占めていました。

なぜこの仕事に価値があったかというと、第5回で書いた話とつながります。情報が点のまま散らばっていて、誰も全体の状態を見られない。だから、それを集めて束ねて「今こうなっています」と束ね直す人が必要だった。管理職は、人と情報の継ぎ目に立って、ばらばらの点を一応の全体像にまとめる役割を担っていたわけです。見張ることに価値があったのは、見張らないと状態が誰にも見えなかったからです。

AIが奪うのは「見張る仕事」

ここにAIが入ると、まずこの「見張る」部分が直撃を受けます。

進捗を集約する、遅れを検知する、ズレを見つける、状況をまとめて報告する。これらは、AIと仕組みが最も得意とするところです。点を集めて整理し、異常を拾い、要約する。第5回の言葉で言えば、点を集める作業そのものは、人間が張りついていなくても回せるようになってきました。

そうなると、管理職の仕事のうち「見張る」で構成されていた部分は、価値が急速に下がります。人間が時間を使って確認し、まとめ、報告していたことが、わざわざ人間がやる理由を失っていく。これは能力の問題ではありません。優秀な管理職であっても、仕事の中身が「見張る」中心である限り、その中身ごと価値が下がっていきます。

ここで誤解してほしくないのは、管理職という人が不要になる、という話ではないことです。不要になるのは「見張る」という機能のほうです。問題は、多くの管理職の仕事が、実際には見張ることで大半が占められている、という現実のほうにあります。機能の価値が下がるとき、その機能に寄りかかっていた役割は、立ち位置を変えるしかありません。

「設計する」とは何か

では、価値が上がる「設計する」とは何か。ここをはっきりさせます。設計という言葉は誤解されやすいので、まず誤解を外すところから入ります。

設計と聞くと、多くの人は画面や仕組みの設計、つまり何かを効率化するための図面を引くこと、を思い浮かべます。けれど、ここで言う設計はそれよりずっと広く、そして本質的には別物です。

設計とは、効率化ではありません。効率化は「今やっていることを、より速く安くする」ことです。設計は、その手前で「そもそも何を、どういう順番で、誰がやれば、目的に最短でたどり着くのか」という構造そのものを決めることです。効率化は与えられた道を速く走る話で、設計はどの道を通すかを決める話です。レイヤーがまったく違います。

私の捉え方を一言で言うと、設計とは「その会社で、目的達成の確率を最大化する構造を作ること」です。

ここには重要な含意があります。設計に唯一の正解はない、ということです。同じ目的でも、会社が違えば、最適な構造は変わります。いる人が違う、強みが違う、文化が違う、抱えている事情が違う。だから「一般的に正しい組織論」をそのまま当てはめても、設計にはなりません。その会社の現実に合わせて、その会社でいちばん目的に届きやすい形を引く。これが設計です。第5回で「状態を見る」と言いましたが、設計とは、見えた状態の上に「ではどう構造を組むか」を載せる行為だと言ってもいい。

具体的に考えてみます。たとえば「同じ業務を、同じ目的でやっている二つの会社」があったとして、片方は少人数で全員が動きの速いタイプ、もう片方は人数が多くて慎重に進めるタイプだったとします。ここに、どこかで成功した「ベストプラクティス」をそのまま両方に入れたら、どうなるか。片方には合っても、もう片方では、現実とかみ合わずに空回りします。型は、それが生まれた会社の現実に最適化されていたものであって、別の会社の現実に最適とは限らないからです。設計者がやるのは、型を持ってくることではなく、この会社のこの人たちなら、どの順番で、誰が何を持てば、いちばん目的に届くかを、その場で組み上げることです。だから設計は、知識量より、その会社をどれだけ深く理解しているかで質が決まります。よそで正解だったものを知っていることは、ここではあまり効きません。

設計者は「人を見張る人」ではなく「人が迷わない構造を作る人」

管理職と設計者の違いを、いちばん効くところで言い切ります。

管理職は、人を見張ることで物事を進めようとします。設計者は、見張らなくても物事が進む構造を作ろうとします。前者は人に張りつくことで品質と速度を保ち、後者は構造のほうで品質と速度が出るようにする。同じ「成果を出す」でも、手段がまるで逆です。

設計者が作ろうとするのは、たとえばこういう状態です。誰が何に責任を持つのかが、最初から明確になっている。何をどの順番でやるべきかで人が迷わない。情報と状態が、見張らなくても自然に見えるようになっている。各自の強みが、無理なく活きる配置になっている。頑張りや気合いに頼らなくても、構造に沿って動けば成果が出やすい。こういう構造ができていれば、人を見張る必要は大きく減ります。見張りで支えていたものを、構造で支えるように置き換える。これが設計者の仕事です。

そして、ここがAI時代に効く理由です。見張る仕事はAIに移っていきます。けれど「その会社にとって最適な構造を引く」仕事は、AIには渡せません。なぜなら、それはその会社の現実、いる人、強み、事情を深く理解した上で、何を正解とするかを決める行為だからです。第1回で書いた「定義する力」と、第5回で書いた「状態を読む力」が、ここで合流します。設計とは、定義と状態理解の上に立つ、いちばん統合的な仕事です。

もう少し踏み込むと、AIに渡せないのは「何を正解とするか」を決める部分です。AIは、与えられた前提のもとで効率的な構造案を出すことはできます。けれど、その会社にとって何を優先し、何を捨て、どの状態を「あるべき」と置くのか、その価値の置き方そのものは、AIが代わりに決めてくれません。決めれば、その決定には結果がついてきます。良い構造にも悪い構造にも、現実の影響が出る。だから設計は、案を出すところまでは助けてもらえても、最後の「これでいく」と決める部分は、人間が引き受けるしかない。ここは第1回で書いた「決めることは外注できない」と、まっすぐ同じ話です。設計者とは、構造を描ける人であると同時に、その構造でいくと決め切れる人のことです。

属人化は、悪ではない

設計の話をすると、必ず出てくる反応があります。「では、すべてを仕組み化して、属人化をなくすべきだ」というものです。世の中の効率化の議論は、たいていここに流れ着きます。属人化は悪、仕組み化は善、と。

私は、これははっきり違うと考えています。

属人化が悪だとされるのは、その人がいないと回らない、という脆さの面を見ているからです。確かにその面はあります。けれど、属人化にはもう一つの面があります。その人に紐づいているからこそ価値が出る領域、人に張りついていないと成立しない種類の仕事、仕組みに落とした瞬間に死んでしまうもの。これらは、現実にたくさんあります。

設計者の仕事は、すべてを仕組み化することではありません。仕組み化すべきものと、属人のまま残すべきものを、見極めて分けることです。ここを混同して、何でも仕組みに落とそうとすると、強かったはずの属人領域まで平準化して、組織が弱くなります。良い設計とは、属人化をゼロにすることではなく、属人化を「どこに残し、どこを構造に変えるか」を正しく決めることです。これは正解が決まっていない判断で、その会社をどれだけ深く理解しているかで、質が決まります。

少し具体的に言うと、仕組み化に向くのは、誰がやっても結果が同じであるべきもの、ぶれてはいけないもの、繰り返し起きるものです。手続き、判断基準、情報の流れ。こういうものは構造に落としたほうが、安定もするし、人を見張る必要も減ります。一方、属人のまま残したほうが強いのは、その人の感覚や関係性や蓄積が、そのまま価値になっている領域です。難しい相手との信頼関係、勘どころのいる判断、その人だからこそ出せる質。これらを無理に仕組みに落とすと、落とした瞬間に、価値の源だったものが抜け落ちます。仕組み化は安定を生みますが、安定と引き換えに、属人だからこそ出ていた尖りを削ることがある。設計者は、この交換が割に合うかどうかを、領域ごとに見極めなければなりません。一律のルールでは決められない、ということです。

つまり設計者に求められるのは、きれいな型を持ってくる力ではなく、その会社の現実を見て、どこを構造化し、どこを人に委ねるかを引き受けて決める力です。型を当てはめる人ではなく、その会社のためにゼロから引ける人。AI時代に価値が上がるのは、こちらのほうです。

役割は変わるが、人が消えるわけではない

最後に、現実的なところを補足します。

これは「管理職という人たちが不要になる」という話ではありません。役割の中身が、見張ることから設計することへ移る、という話です。今まで見張ることで価値を出してきた人が、そのまま設計する側へ移れるなら、価値はむしろ上がります。実際、現場と人をよく見てきた管理職は、その会社の現実を誰よりも知っているという点で、本来は設計に向いている位置にいます。

問題は、見張ることに慣れた人ほど、設計する側へ移るのが難しい、という構造があることです。見張るのは、対象を外から確認する仕事です。設計するのは、構造を内側から組み立てる仕事です。求められる頭の使い方が、別物です。第4回で、情報強者ほど移行が難しいと書きましたが、同じことが管理職にも起きます。これまでのやり方が成功体験であるほど、その延長で頑張ろうとしてしまう。けれど、見張りをいくら磨いても、見張りの価値そのものが下がっているなら、努力の方向がズレています。

ここまでで、状態を見て、構造を引く人、つまり設計者の重要性まで来ました。ただ、設計者が構造を引くとき、最後に必ずぶつかる問いがあります。「その構造の結果に、誰が責任を持つのか」です。構造は引けても、結果を引き受ける主体がいなければ、構造は動きません。次回は、その「責任を引き受ける人」の話に入ります。AI時代に、なぜ責任を取れる人の価値が上がるのか、という話です。

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