連載「AI時代の構造論」
【第4回】AI時代は「情報を持っている人」の価値が下がる
情報の落差が埋まる時代、「あの人に聞けば分かる」の価値はなぜ下がるのか。知っているから、翻訳できるへ。第4回。

「あの人に聞けば分かる」。
会社の中に、たいていそういう人がいます。制度のこと、過去の経緯、取引先の事情、社内の手続き。何かあるとその人のところに話が集まり、その人が答えると物事が進む。長く重宝され、本人もそこに自分の価値を感じている。
この「あの人に聞けば分かる」の価値が、今、静かに下がっています。本人の能力が落ちたわけではありません。周りの環境のほうが変わった。今回は、情報を持っていることで価値を出してきた人に何が起きているのか、という話です。
これは特定の誰かの話ではありません。多かれ少なかれ、働く人の多くが、何かしら「自分はこれを知っているから必要とされている」という部分を持っています。担当している領域の事情、長くやってきたから分かる勘どころ、社内の経緯。その「知っているから必要とされている」の部分が、いま何に晒されているのか。これを正確に理解しておくことは、自分の価値の置き場所を考える上で、かなり実際的な話になります。前回は会社の単位で「持っている量」の価値が下がる話をしましたが、今回はそれを個人の身に引き寄せます。
情報の価値は「持っていること」ではなく「差があること」から来ていた
まず、なぜ情報を持っている人に価値があったのかを、正確に押さえておきます。
情報そのものに価値があったわけではありません。価値の源は、情報の「差」にありました。ある人が知っていて、周りが知らない。この非対称があるから、知っている人のところに人が集まり、知っていること自体が力になった。みんなが同じだけ知っていたら、知っていることは価値になりません。価値は情報の中身ではなく、知っている人と知らない人のあいだの落差から生まれていたわけです。
そして、この落差は長持ちしました。情報を集めるのも、経験から学ぶのも、時間がかかったからです。後から追いつこうとしても、追いつくのに数年かかる。だから先に持っている人は、構造的に有利な位置に居続けられました。「あの人に聞けば分かる」が長く成り立っていたのは、その落差が簡単には埋まらなかったからです。
ここは前回の会社の話と同じ構造です。会社の強さが「持っている量」から来ていたように、個人の価値もまた「情報の落差」から来ていた。違うのは単位だけで、メカニズムは同じです。
AIがしたのは「落差を埋める」こと
AIが情報に対してやったことを一言で言うと、この落差を埋めた、ということです。
これまで、知らない人が知っている人に追いつくには、時間がかかりました。本を読む、人に聞く、経験を積む。その過程に年単位の時間が必要だったから、落差が保たれていた。AIは、この「追いつくのにかかる時間」を大幅に短くしました。知らない人が、知らないなりに、その場でかなりのところまで答えにたどり着けるようになった。
これが「情報を持っている人」に直撃します。
価値が情報の落差から来ていたなら、落差が埋まれば、価値も下がります。「あの人に聞けば分かる」が成り立っていたのは、その人に聞かないと分からなかったからです。聞かなくても分かるようになると、「その人に聞く理由」そのものが薄れていきます。本人は何も変わっていないのに、立っていた位置の地面が下がる。前回、会社について「何も悪いことをしていないのに価値の源泉が外から溶かされる」と書きましたが、まったく同じことが個人にも起きます。
ここで強調しておきたいのは、これは「物知りな人が無能になる」という話ではない、ということです。知識が増えること自体は、今も価値があります。問題は、知識を「持っていること自体」で価値を出すモデル、つまり情報の落差で立っていた立ち方のほうが、効きにくくなった、という点です。下がるのは知識ではなく、知識の持ち方です。
具体的な場面で見てみます。社内に、ある複雑な制度の運用に誰よりも詳しい人がいたとします。手続きの順番、例外の扱い、過去のトラブル事例。それを全部頭に入れていて、何かあるとみんながその人に確認しに行く。その人は長く頼られてきましたし、本人もそこに誇りを持っていました。
ところが、その制度に関する一般的な説明や、典型的なケースの処理が、AIにある程度聞けるようになると、何が起きるか。周りの人は、まずAIに聞くようになります。簡単なことでわざわざあの人に確認しに行く回数が、減っていく。本人は何も変わっていないのに、自分のところに来る相談の数が、静かに目減りしていく。そして、その目減りは、本人にとっては「最近あまり頼られなくなった」という漠然とした感覚としてしか現れません。何が起きているのか、構造として説明できないまま、価値だけが下がっていく。これがいちばん怖いところです。
「知っている」から「翻訳できる」へ
では、情報をめぐって価値が残るのはどこか。
落差が埋まったのは「知っているかどうか」のレベルです。事実を知っている、手順を知っている、過去を知っている。このレベルは、AIによって誰でもアクセスできるようになりました。けれど、その手前と先に、まだ落差が残っている場所があります。
ひとつは、その情報を「いま目の前の状況に合わせて翻訳する」ところです。
AIは一般的な答えを出すのは得意です。けれど、一般的な答えが、目の前の具体的な状況にそのまま当てはまることは、実はあまりありません。同じ制度でも、この会社のこの状況では意味が変わる。同じ手順でも、この相手にはこの順番では通らない。「一般的にはこうだが、あなたの場合はここが違う」を見極めて、知識を具体に着地させる。この翻訳の部分は、状況の側を深く理解していないとできません。そして状況を深く理解するには、その現実の中に入っている必要があります。
もうひとつは、その情報を「何のために使うか」を決めるところです。
情報は、それ単体では方向を持ちません。同じ事実が、ある目的の前では決定的に重要で、別の目的の前ではどうでもいい。どの情報が、いま本当に効くのか。それを見分けるには、そもそも何を達成しようとしているのか、何が本当の課題なのかが分かっていないといけません。これは連載の第1回で書いた「定義する力」と、まっすぐ繋がります。情報を持っていることの価値は下がりましたが、情報を課題に結びつける力の価値は、むしろ上がっています。
整理すると、こうです。「知っている」の価値は下がり、「知っていることを、この状況の、この目的のために使える」の価値は上がる。情報をめぐる価値が、保有から翻訳へ移っていく、ということです。
この「翻訳」が、思っているより難しい、という点も書いておきます。
一般論を具体に着地させるには、具体の側を、一般論と同じくらい深く知っていないといけません。AIは一般論の側をいくらでも出してくれますが、目の前の相手が置かれている事情、社内の力関係、過去にこじれた経緯、言葉にされていない前提。こうした具体の側は、その現実の中にいる人間しか持っていません。つまり翻訳とは、AIが出した一般解と、自分しか知らない具体とを、突き合わせる作業です。一般解はもう誰でも手に入る。だとすると、価値は具体を握っている側に移る。情報の落差は消えましたが、「具体的な現実をどれだけ深く掴んでいるか」の落差は、まだはっきり残っています。むしろ、一般解がコモディティになったぶん、具体を掴んでいることの価値は相対的に上がっています。
これは、連載でずっと言ってきたことの言い換えでもあります。相手の現実に深く入っている人ほど、AIの一般解を本当に効く形に翻訳できる。入っていない人は、一般解を一般解のまま渡すしかなく、それなら相手が自分でAIに聞くのと変わらない。情報の時代に強かったのは物知りでしたが、これからの時代に強いのは、現実に深く入って翻訳できる人です。
「あの人に聞けば分かる」の中身を分解する
ここで、最初の「あの人に聞けば分かる」をもう一度見てみます。
実は、重宝されている人の中には、二種類が混ざっています。ひとつは、事実や手順を「知っているから」聞かれていた人。もうひとつは、知識を持った上で、「この状況ではこう考えるべき」「ここは効くがここは効かない」という判断ごと渡してくれるから聞かれていた人。
外から見ると、どちらも「あの人に聞けば分かる」で同じに見えます。けれどAIが入ってくると、この二種類は別々の運命をたどります。前者、つまり知っていることが価値だった人は、聞かれる理由が薄れていきます。後者、判断ごと渡していた人は、むしろ価値が上がります。AIで誰でも事実にたどり着けるようになったぶん、「で、結局この状況ではどうすべきなのか」を引き受けてくれる人の希少性が、際立つからです。
だから、自分が情報で価値を出してきたと感じている人にとって、本当に問うべきはこうです。「自分は知っていることで頼られているのか、それとも、知った上で判断を引き受けているから頼られているのか」。前者だけなら、立ち位置を移す必要があります。後者がすでにあるなら、AIはむしろ追い風です。あなたの判断の価値を、相対的に押し上げてくれるからです。
情報強者だった人ほど、移行が難しい
最後に、現実的な話を一つ。
この移行は、これまで情報で勝ってきた人ほど難しい、という構造があります。
理由は単純で、その人にとって情報を持っていることは、長く成功体験だったからです。聞かれること、頼られること、知っていることで場を動かせること。それが自分の価値だと信じてやってきた人ほど、その価値が下がる現実を受け入れにくい。下がっていることに気づいても、「もっと詳しくなれば取り戻せる」と、同じ方向に努力を重ねてしまいがちです。けれど、落差そのものが埋まった世界では、さらに詳しくなっても、落差は戻りません。努力の方向が、ズレている。
ここで効くのは、知識を増やす方向ではなく、その知識を「翻訳する」「目的に結びつける」「判断ごと引き受ける」方向に、立ち位置をずらすことです。持っている知識は無駄になりません。むしろ、翻訳や判断の土台として、ちゃんと活きます。変えるのは知識の量ではなく、その知識で何をするか、です。
この立ち位置のずらし方は、言葉にすると簡単ですが、実際にはかなりの自己否定を含みます。これまで「詳しいこと」で評価され、それを磨いてきた人にとって、「詳しさ自体はもう価値になりにくい」と認めることは、過去の自分のやり方を一部否定することだからです。人はそう簡単に、自分の成功の理由を手放せません。だから多くの場合、変化に気づいていても、いちばん慣れた方向、つまり「もっと詳しくなる」に戻ってしまう。これは怠慢ではなく、成功体験があるがゆえの自然な反応です。だからこそ、構造として理解しておく価値があります。気合いの問題ではなく、向きの問題だと分かっていれば、努力を正しい方向に向け直せます。
情報を持っていることの価値が下がるのは、たしかに痛い話です。けれど、情報を持っていた人は、翻訳と判断の土台をすでに持っているとも言えます。地盤が下がったのではなく、価値を出す層が一段上に移っただけだ、と捉え直せるなら、ここはむしろ有利な側に立てる地点です。
ここまで、会社の価値、個人の価値と見てきました。どちらも、「持っていること」より「捉え方と判断」に価値が移る、という同じ話でした。次回からは、その「捉え方」の中身に踏み込みます。会社で起きる問題のほとんどは、実は情報が足りないのではなく、もっと別のものが壊れている。次回は、その「別のもの」の正体についての話です。