連載「AI時代の構造論」

【第1回】AI時代は「考える力」より「定義する力」が重要になる

考える作業はAIに肩代わりされ、価値は「何を考えるべきかを定義し、決定を引き受ける力」へ移った。連載「AI時代の構造論」第1回。

AIを使っていて、不思議な感覚になることがあります。

頼んだものは、ちゃんと返ってくる。資料も、文章も、分析も、想像より速くて、想像よりまともです。便利なのは間違いない。なのに、出てきたものを見たときに、ほんの少し物足りない。どこがと言われると説明できないけれど、何かが足りていない感じが残る。

この違和感を、多くの人が言葉にできないまま抱えていると思います。AIはすごい、もう手放せない、と思いながら、同時にうまく言えない引っかかりがある。私はこの引っかかりに、けっこう大事なものが隠れていると考えています。

結論から言うと、その物足りなさの正体は、AIの能力不足ではありません。私たちが何を頼んだか、その問いの側にあります。

少し前まで、頭のいい人とは「考えられる人」のことでした。複雑な問題を分解する、筋道を立てて答えにたどり着く、人より速く深く考える。そこにはっきりと価値があり、報酬の理由にもなっていました。今、その前提が静かに崩れています。考える作業そのものは、AIに問いを投げればかなりの精度で返ってくる。論点も整理してくれるし、反論まで用意してくれる。かつて「頭のいい人」の仕事だった部分の多くが、すでに肩代わりされています。

ここで多くの人が「じゃあ人間の価値はなくなるのか」という話に進みますが、私はそうは思いません。人間の価値はなくならず、ただ置き場所が動くだけです。考える力から、定義する力へ。これが、この連載で最初に置きたい話です。念のため言っておくと、これは「人間にしかできないことを大事にしよう」みたいな精神論ではありません。

冒頭の違和感に戻ります。AIの出力の質は、こちらの問いの質でほぼ決まります。雑に聞けば雑に返ってくるし、鋭く定義して聞けば、自分が思いつかなかった角度まで返ってくる。あの物足りなさは、AIが弱いのではなく、こちらの問いがまだ甘い、というサインです。つまりAIを使えば使うほど、成果を決めるボトルネックは自分の「何をどう問うか」に移っていく。道具が強くなるほど、それを向ける先を決める精度が結果を分けるようになります。だからこれは精神論ではなく、構造の話として書きます。

考えることは外注できる。決めることは外注できない

仕事で課題を扱っていると、繰り返し気づかされることがあります。プロジェクトがうまくいったとき、決め手になっていたのは、たいてい何かを速く考えたことではありませんでした。最初に「この人が本当に困っているのは何か」を外さなかったこと。効いていたのは、いつもそこでした。

逆に、つまずいた現場を振り返ると、原因はだいたい入り口にあります。考える量が足りなかったのではなく、何を考えるべきかが最初からズレていた。考えた量ではなく、何を考えるかを外さなかったかどうか。成否を分けていたのは、ほぼこの一点です。

これはAIが入ってきた世界でかなり効いてきます。AIは与えられた問いに対しては圧倒的に強く、問いの精度が高いほど返ってくる答えも鋭くなります。一方で、AIは「そもそも何を問うべきか」をこちらの代わりに決めてはくれません。正確に言えば、それっぽい問いや整った論点は出してくれますが、そこに当事者の体温がない。誰が、何に、どれくらい困っているのか。その肌感がないまま生成された問いは、たいてい少しズレています。

そして課題定義が少しズレると、その先の答えは全部ズレます。

具体的な場面で言います。クライアントが「サイトのデザインを今っぽくしたい」と言ってきたとして、この言葉をそのまま受け取ってトレンドのUIに作り替えることはできますし、AIに投げれば参考案も山ほど出ます。実行のスピードは昔とは比べ物になりません。けれど本当の問題が「問い合わせが来ない」ことだったら、デザインを今っぽくしても何も解決しません。きれいになった、で終わります。

逆に本当の問題が「社内で古い会社だと思われていて採用に響いている」ことだったら、打ち手はデザインですらないかもしれません。同じ一言から、解くべき問題が三つにも四つにも分岐します。どれを選ぶかで、その後の全工程が変わる。AIはこの分岐の先をどこまでも速く走ってくれますが、どの分岐に入るかは決めてやらないと走り出しません。走る速さがいくら上がっても、入り口を間違えたら、間違った場所に速く深く入り込むだけです。

「考える力」が安くなった、という現実

ここははっきり言っておきます。考える力の市場価値は下がりました。

下がったという言い方に抵抗がある人もいると思いますが、現実は直視したほうがいい。きれいに分解された資料、筋の通った構成、論点が整理された企画書。こういうものはかつて「考えられる人」だけが作れる成果物で、それ自体が報酬の理由でした。今は、そこそこの精度のものなら誰でも数分で出せます。考えるという行為そのものが、急速にコモディティ化しています。

これを認めると「努力して身につけた思考力が無価値になったのか」と感じる人がいますが、そうではありません。思考力が無価値になったのではなく、思考力の単体販売が成り立たなくなった、という話です。考える力は今も必要で、ただそれは前提条件になりました。持っていて当たり前、持っているだけでは差にならない。差になるのは、その思考力をどこに向けるかを決める力のほうです。

定義する力とは何か

では定義する力とは具体的に何か。私はこう捉えています。

何かに困っている人がいるとして、そこには必ず「こうあってほしい」という理想と、「今はこうなっている」という現状があります。この二つのあいだのズレが課題です。定義する力とは、このズレを正確に、深く、その人の温度のまま掴む力のことです。

簡単そうに聞こえるかもしれませんが、これがとても難しい。なぜなら人が口にする言葉は、ほとんどの場合、本当のズレを指していないからです。「もっと効率化したい」と言う人がいて、その言葉だけ受け取ってAIに投げれば効率化の施策はいくらでも出てきます。けれどその人が本当に言いたかったのは、効率化ではないことが多い。「このままだと現場が持たない」かもしれないし、「上に説明できる材料がほしい」かもしれないし、「自分の判断が間違っていないと確認したい」かもしれません。

「辛い」「面倒」「使いづらい」。こういう言葉は人によって意味がまったく違い、同じ単語でも指している現実が違います。

たとえば「この作業、面倒なんですよね」と言われたとき。ある人にとっては、クリック数が多くて単純に手間がかかる、という意味です。別の人にとっては、やる意味が分からないものをやらされているのが嫌だ、という意味です。さらに別の人にとっては、その作業自体はどうでもよくて、それを押し付けてくる相手との関係が面倒だ、という意味だったりします。同じ「面倒」の三文字で、解くべき問題が、操作の話か、納得の話か、人間関係の話かに分かれます。言葉だけ受け取ってAIに投げると、たいてい一番表面の操作の話として処理され、本人が本当に嫌だったことには触れないまま、整った解決策が出てきます。ここを履き違えると、正しく実行された、間違った解決策ができあがります。

厄介なのは、この間違いが見た目には成功に見えることです。資料はきれいにできていて、施策は計画通りに走っていて、数字も一応動いている。誰も失敗したとは言わないのに、根っこの困りごとは何も解けていない。こういう現場を私は何度も見てきました。みんな真面目に働いていて、誰もサボっていないのに前に進んでいない。原因はだいたい一つで、最初の定義がズレていた。出発点が半歩ずれたまま、全員が全力で走った結果です。

定義する力とは、この「言葉と本当のズレの距離」を詰める力です。そしてこれは情報をいくら集めても埋まらず、相手の中に入らないと見えません。ここで言う「相手の中に入る」はヒアリングを増やすこととは違います。質問の数を増やしても、相手が言葉にできていないものは出てきません。必要なのは相手の立場に憑依することで、その人が毎朝どんな気持ちで出社して、何に時間を溶かし、どこで諦め、何を口にしないか。それを自分のことのように感じられるところまで入る。そこまで入って初めて、本人すら言語化できていなかったズレが輪郭を持ち始めます。

なぜAIには定義の核心が渡せないのか

AIは定義の補助はできます。論点の洗い出し、抜け漏れのチェック、構造の整理。このあたりはむしろ人間より速くて正確です。けれど定義の核心、つまり「この人にとって何が本当の課題なのか」を決める部分だけは渡せません。

これを決めるには相手の課題感に憑依するしかなく、頭で理解するのではなく肌身で感じる必要があります。クライアントが何に焦り、何に安堵し、何を口にしないのか。その温度ごと自分の中に取り込む。これは共感力という言葉だと少し足りません。共感は感じることですが、定義はそこから「何が本当の問題か」を決める行為です。感じるだけでは止まり、決めるところまでいって初めて定義になります。

そして決めるという行為には責任がついてきます。「この課題を、この粒度で、こう定義する」と言い切ること。それが外れていたらその先が全部崩れる。だから決めるのは怖いし、怖いから人は決めずに考えるに逃げます。考えているふりで判断を先送りする。

考えるのはある意味で安全です。考えている限りまだ間違っていないし、選択肢を並べているうちは誰にも責められない。だから人は考えることに逃げ込みたくなります。たくさんの資料、たくさんの論点、たくさんの可能性。それらは決めないための立派な口実になります。AIはこの決めないための材料を無限に供給できてしまうので、便利な一方で危うさもあります。使い方を間違えると、人はますます決めなくなる。永遠に考え続けられる環境が整ってしまうからです。

だからこそAI時代に効くのは、その逆を行ける人だと思っています。広げられた選択肢を前にして、これは捨てる、ここは見ない、本当の課題はこれだ、と削って絞って言い切れる人。考える材料が無限になった世界で、有限の決断を下せる人です。AIはこの怖さを引き受けてくれませんし、引き受ける主体にもなれません。間違っても痛まないし、責任を問われない。だから定義の核心は構造的に人間側に残ります。渡せないというより、渡しても意味がない。痛みを負わない定義は、ただの仮説で止まるからです。

これからの「頭のいい人」

整理します。AIによって考える作業はコモディティになり、誰でも速くそこそこ深く考えられるようになりました。その結果、価値はもう一段先に移りました。何を考えるべきかを決める力と、その決定を引き受ける覚悟です。

この差はこれから加速度的に開いていきます。考える力が前提になった世界では、全員のアウトプットの平均点が一気に上がります。AIを使えば誰でも一定水準の分析や構成は作れるので、平均的に賢いだけでは埋もれます。そこで効いてくるのが定義の精度です。同じツールを使い、同じだけ考えても、最初に何を解くかを外さなかった人だけが結果を出す。能力の差ではなく、定義の差で勝負がつく時代に入っています。

これからの「頭のいい人」は、たくさん考えられる人ではありません。何を考えなくていいかを見切り、本当に効く一点を定義し、そこに賭けられる人です。考える力はもう前提で、その前提の上で何を問うかを決め、決めたことに責任を持つ。ここが価値の中心になります。

ここから先の連載では、この定義する力と責任を引き受ける力が、会社や組織や個人の価値をどう組み替えていくのかを一つずつ解体していきます。先に全体の輪郭だけ示しておくと、AIは人間の仕事を奪う道具ではなく、人間と人間のあいだにあった構造を組み替える力だと考えています。分業の継ぎ目、管理の役割、情報の格差、会社という器。これまで当たり前に存在していた構造が、AIによって一つずつ意味を問い直されています。その問い直しの中心にはずっと定義と責任が居座っていて、この二つだけは技術が進むほど価値が上がり、逆にこの二つを持たない働き方はこれから急速に値崩れします。

少し厳しい話に聞こえるかもしれませんが、変化の方向がはっきりしているなら早く知っておいたほうがいい。怖がるためではなく、置き場所を変えるためです。次回は、AIが人間を代替するのではなく、人と人のあいだにあった分業そのものを溶かし始めている、という話をします。代替されるのは人ではなく、継ぎ目のほうです。

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